2019.07.01
無限のポテンシャルを秘め若武者が世界をかける
身体能力が高く、キレがあり、バランスが良い。形を演じれば天下一品。西山走は空手家としての条件を全て備えている。赤丸急上昇の有望株は、2019年4月に全日本強化選手となり、5月には初めて国際大会で優勝した。世界ランキングを更新し続ける将来の日本空手界を背負う逸材は、東京五輪、そして、その先の世界大会を見据え突き進む。
師範との出会いが成長を加速
ついに才能が開花した。大分市消防局東消防署坂ノ市出張所に勤務する西山走は、19年5月の「KARATE1シリーズAイスタンブール大会」の男子個人形で、国際大会での初優勝を果たした。西山は「うれしかったけど、ようやくスタートしたという思いの方が強い。ここからどれだけ結果を残せるかが大事になる」と気を引き締めた。
世界一を目指し、佐藤重徳師範に師事してから4年目。ようやく成果が形となった。剛柔会という流派の合同合宿で、日本代表の大野ひかるも師事する佐藤師範と出会い、教えを請うた。その後も佐藤師範の道場に通い、大学卒業と同時に師のいる大分市に移り住み、鍛錬を続ける日々を送る。「師範との出会いが全て。大野先輩が幼い頃から師事していたと聞いたが、衝撃を受けた。背中や肩甲骨など他では意識しないような体の使い方を教えてもらい、土台からつくり直してくれた。そこで意識が大きく変わり、大会で結果を残せるようになった」
武道家もアスリートも同じだ。良き指導者や理解者との巡り合わせが劇的な成長を促す。西山は「伸び悩んだ時期に佐藤師範と出会えたことで道がひらけた」と話す。
岡山県出身で5歳から空手を始めた。やんちゃで元気な少年は、同年代の男子が楽しそうに野球やサッカーを始めた頃、「みんなでワイワイしているのが嫌いで、大人ばかりが黙々と鍛錬する空手に惹かれた」。小学時代は学年別の全日本少年少女空手道選手権大会で2度優勝。中学では主だった実績を残せなかったが、高校時代は1年次に全国高校選抜大会で2位、2年次には全国高校総体で3位となる。同志社大に進学し、さらなる活躍が期待されたが空手強豪校の選手層の厚さは大きな壁となった。素質があり、練習も真面目に取り組むが部内の選考会で敗れ、力を出し切れなかった。「何か変えないといけない」と危機感が芽生えた大学3年次、佐藤師範に出会う。「これまで見栄えばかりを意識していたが、見えない相手を倒すことを念頭に置くことで、一つひとつの技に深みが出た。周りの方からも形が変わったと言われるようになった」
越えなければならない壁がある
18年、小学校の頃からの夢だった消防士となった社会人1年目は、環境が変わり、空手と仕事の両立に戸惑った。練習時間を確保できない日々が続いたが焦りはなかった。「社会人になって半年間を消防学校で過ごした。消防の基本を学び、トレーニングをすることで基礎体力がついた。全ては考え方次第。消防の仕事はハードだが、毎日の体力づくりが空手のトレーニングにもなっていると考えるとすごくラッキーだと思えた」。西山はいつも前向きだ。
全日本強化選手といえば聞こえがいいが、大会のエントリーや移動手段、日程調整に宿泊の手配も全て自分で行わなければならない。大会中の食事も自己管理。世界ランキングで日本人上位2選手には、よりきめ細かなサポートはあるが、それ以外はみな同じような境遇だ。「試合に出て、勝ち続けなければポイントが増えない。上位の人は取りこぼしが少ないので、これからが勝負」。19年7月に世界ランキング10位入りした。月に2度ほど国際試合を転戦する。職場の理解を得なければ続けることは不可能だ。「周りの協力に感謝している。職場の方々も温かく応援してくれる。大学の頃は親の仕送りがあり甘えがあった。今は自分で稼いで、その中でやり繰りする。全て自分次第。学生の時より充実している」と、持ち前の明るさにも陰りは見えない。
全日本強化選手という肩書きは、「まだまだ二流。世界ランキング上位は日本人選手が独占している。越えなければいけない壁がある。もっと実力をつけなければいけない」と言い切る。「現時点では東京五輪の出場は厳しいが、可能性がある限り諦めたくない」。まだまだ伸びしろは大きく、スケールアップするつもりだ。年齢を重ね、経験を積むほどに円熟度が増す形競技において23歳の西山は、まだまだ青二才。勝負はこれからだ。
西山走の哲学
常にポジティブに前だけ向く
プロフィール
生年月日 | 1995年8月20日 |
---|---|
成績 |
|