ライフル射撃

近藤 桂司 Keiji Kondo

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プロフィール

生年月日 1995年2月18日
出身 大分県大分市出身
身長/体重 172cm/68kg
成績
  • 2017年 第72回愛媛国体 ライフル3姿勢競技/7位
  • 2019年 西日本ライフル射撃選手権大会 3姿勢競技/3位
    伏射競技/優勝
    第74回茨城国体 ライフル3姿勢競技/5位
  • 2022年 春季ライフル&ピストル射撃競技広島大会 エアライフル立射/準優勝
    春季ライフル&ピストル射撃競技広島大会 ライフル3姿勢/優勝
    第52回西日本ライフル射撃選手権大会 ライフル3姿勢/準優勝

2021.03.15

今も変わらぬライフルへの思い、熱中力と持続力で進化を続ける

柔和で優しそうな外見や雰囲気からスポーツとは無縁と思われても仕方ない。実際にライフル射撃に出会う高校までの近藤桂司は、外で遊ぶより家で読書やゲームで遊ぶ時間が多い少年だった。「足も遅く、体力もなかった。スポーツに関わることもなかった」と振り返る。仲良しの友だちが進学先に由布高校を選び、その時初めて県内でも数少ない射撃部のある高校だと知り、「コレだ!」と直感した。あれから十数年が経ち、「今もライフルが楽しい」と50m先の的にライフル銃を向ける。

 

熱中力と持続力が武器

オリンピック競技種目の「ライフル射撃」は、ライフル銃やピストルで一定距離の的を狙い、制限時間内に決められた弾数を撃ち、その的中した合計点数で勝敗を争う。歴史は古く、第1回のアテネオリンピックから実施されており、参加国数は陸上競技に次いで多い。

近藤桂司が得意とする種目はライフル銃を用いて、50m先にある小さな的に、膝射(しっしゃ)・伏射・立射の3姿勢でそれぞれ40発ずつ撃つ「50mライフル3姿勢120発」競技だ。2019年の茨城国体で5位となり、20年の鹿児島国体では優勝候補の一人と目されたが新型コロナウイルスの影響により延期となった。「調子が良かったので大会に出たかった」と悔しがったが、「支えてくれる方々のために感謝の気持ちを成績に出す」と気持ちを切り替え、日本代表入りを目指す戦いは続く。

 

近藤がライフルに出会ったのは高校1年の時。それまでスポーツとは無縁の生活を送っていたが、「高校入学をきっかけに何か自分を変えたかった」と進路を決めた時から射撃部に入ることを決めていた。新たな挑戦に不安はなかった。「射撃はがっつり動くイメージはなかった。スポーツとは違う楽しさがあった」と入部と同時に前のめりで練習に取り組んだ。最初は全く的に当たらなかったからこそ、初めて的を射抜いたときの喜びは忘れられなかった。

身体的に恵まれたわけでもなく、高い運動能力があるわけでもない。ただ、人より長けた能力があるとしたら“熱中力”と“持続力”だ。高校1年の頃から現在まで、近藤の成長を見守り、指導してきたライフル日本代表の礒部直樹コーチは、「決して恵まれた才能があったわけではないが、誰よりも真面目に競技に向き合っている。努力する才能は僕がこれまで多くの選手を見てきたなかでトップクラス」と称賛する。

 

高校時代の近藤は、人一倍の練習量をこなした。全体練習が終わっても居残り練習し、練習場を出るのは最後だった。努力の積み重ねが結果に出ることは嬉しかったが、県内、九州では優勝できる力はあっても全国大会では思うような成績につながることはなかった。近藤は「悔しいという思いもあったが、運動センスがないことは自覚していたし、まだまだ力が足りないと思えた」と潔く実力不足を認めた。それと同時に、まだまだ伸びしろがあることがうれしかった。

射撃部のある大学への進学はできなかったが、地元の日本文理大学に進学し、個人で競技を続ける。時に礒部コーチの指導を仰ぎながら、基本は一人で練習メニューを考え、黙々と的に向かってライフル銃を撃ち続けた。大会があれば自分でエントリーし、移動手段から宿泊先まで一人で決める。喜びを分かち合えるチームメートも、苦しみを相談できる相手もいない孤独との戦いは4年間続いた。大学1年時の東京国体の伏射で入賞したが、その後はスランプに陥り、結果の出ない日々を過ごす。調子の良い時は銃を構えるとしっくりきたが、結果が出ないときはフォームが定まらない。練習方法から食事、ルーティンなど全てを見直したが、何をしてもうまくいかなかった。それでも「思い通りにならないのが楽しい。ガムシャラに練習して壁を越える」。熱中量は下がることなく持続した。

 

努力が実を結んだ社会人1年目

努力したが大学4年間で結果は出なかった。就活時期に競技を続けるか迷っていた時、高校の部活の顧問と礒部コーチとで三者面談をした。「辞めるのは簡単だけど、本当にそれでいいのか」との礒部コーチの言葉が胸に刺さった。競技を続けるために理解ある会社を紹介してもらい、もう一度挑戦しようと競技への思いが再燃した。「感謝の思いを成績に出す」と明確な目標ができたのだ。

社会人となった近藤の練習時間は極端に減少。仕事と競技の両立は簡単ではなく、週2回の練習を確保するのがやっとだったが、「限られた時間で練習の質を上げた。これまではひたすら撃っていたが、考えて練習するようになった。一発の集中力が増した」。逆境が近藤の熱中力を高めた。練習以外でも競技のことを考えるようになり、仕事でも積極的に体を動かした。「体重は落ちたけど基礎体力は上がった」。

 

精神面も整ったのは社会人になってからだ。「競技を純粋に楽しめるようになったのは、周りに支えられていることへの感謝の気持ちが強くなったから」と近藤。すると高校から大学と7年間、黙々と練習してきたことが一気に開花することになる。社会人1年目の2017年、愛媛国体で入賞。「急に感覚が良くなった。どうすれば点数が上がるのか分かった。言葉にするのは難しいのだけど…」。近藤にしか分からない手応えがあった。「社会に出ていろいろな経験をしてメンタルが強くなった。それまでは緊張で震えることがあったけど、今は緊張を楽しめている」。学生時代は成績を残すことに意識が傾いたが、今は「成績は後からついてくるもの。競技に集中できるようになった」。

 

2019年は西日本ライフル射撃選手権大会で50mライフル3姿勢120発3位、同伏射で優勝、茨城国体で同3姿勢5位となった。勝負の年と位置付けた2020年は新型コロナウイルスの影響で大会が続々と中止になり、勢いを削がれたが近藤は動じない。「チャンスはこれからもある。ライフル射撃は継続のスポーツ。積み重ねたことが結果になると思っている」。目標の日本代表入りは射程圏内にある。

近藤桂司の哲学

感謝の気持ちを忘れず、競技を楽しむ