2019.07.01
みんなの喜ぶ笑顔が力になる。愚直に真っ直ぐ突き進む
大分東明高校時代に全国高校駅伝競走大会で都大路を走破したランナーは、2020年東京パラリンピック、その4年後のパリパラリンピックの陸上競技でメダル獲得を見据えている。大きな期待を背負うが、「プレッシャーより、みんなが喜んでくれる笑顔が見たい。それがうれしい」と言う。「いろんな方のつながりがあって今の居場所がある。大事にしたい」。一期一会を大事にしてきた十川裕次が、この先も全力で駆け抜ける。
陸上に出会い、人生が変わる
2018年10月の「ジャカルタ2018アジアパラ競技大会」の陸上競技T20(知的障害)1500mで銅メダルを獲得し、一気に注目が高まった十川裕次。現在、同5000mの日本記録保持者だ。東京パラリンピックの採用種目が400m、1500m、走り幅跳び、砲丸投げの4種目であることから、長距離から中距離に本格的に転向して2年余り。まだまだ改善の余地は多いが、国際大会で結果を出したことで東京パラリンピック出場が射程圏内となった。「一気に世界が変わった。これまで支えてくれた両親やコーチ、職場の方々などのおかげ。東京パラはパリへの通過点と思っているが、自国開催の大きなイベント。出たい思いは強いし、メダルを取りたい。そのためには技術より気持ち」。19年は勝負の年と位置付ける。
3歳のときに知的障がいを伴う自閉症アスペルガー症候群と診断された十川だが、両親の強いバックアップで言語訓練や塾などに通い、通常の生活に支障を感じるような幼少期を過ごしていない。小学生となり、物事を記憶することや計算は得意ではなかったが、体を動かすことは好きだった。二つ年上の兄が少年野球をしていたこともあり、小学4年から野球を始め、兄と同じようなメニューをこなす。「足は速かった」と母のケイ子さん。1年生の頃から校内のマラソン大会で優勝するほどの健脚で、中学でも野球部に所属しながら駅伝の助っ人に駆り出されるほど。その実力が認められ、駅伝の強豪校である大分東明高校に通うことになる。
しかし、「勉強は苦手だし、障がいもある。全寮制の駅伝部に入ることは心配だった」とケイ子さんの不安が的中する。親元を離れ、食事や洗濯など身の周りの全てを自分でしなければいけない。これまで両親の支えがあり不自由なく過ごした十川にとって強度のストレスとなる。きつい練習には泣き言ひとつ言わずに付いていったが、練習以外でつまずくことが多かった。起床時間に起きられず寝坊、脱水ができず練習着をそのまま干して服が臭かった―など、今では笑い話だが、当時は失敗の数々で精神的にまいったと言う。「何度も辞めようと思った」。それでも井上浩監督(大分東明高)の「お前は走っている時が一番輝いている」の言葉に奮い立った。
悪いところを見ず、良いところを伸ばす指導法、そして、走りこむ量は多いが緻密な練習メニューがハマった。「裕次は自由に行動しなさいと言われるのは苦手だが、決められたことをやるのは得意だった。それが細かければ細かいほど」(ケイ子さん)。
今でも1週間、1カ月の練習メニューをびっしり書いたスケジュールを冷蔵庫に貼っている。目標に向かって、何をどのようにすればいいか。その過程が明確であればあるほど、十川は燃える。几帳面で真面目な性格は、陸上選手としての大きな武器となった。それ以外にも、十川にはひと並外れた能力があった。スポーツ心臓症候群、通称アスリート心臓。正常の成人の脈拍は1分間に60〜80回程度だが、十川は40回弱と少ない。マラソンなどの長距離走や自転車、クロスカントリースキーなどの持久力を必要とするアスリートにみられる特質を生まれたときから授かっていた。
失ったものと授かったもの
長距離向きの性格と心臓。障がいで失ったものもあるが、他の人にはない武器を持っていることに気づいた。ありのままの自分を受け止めることができたのは、この頃だ。環境の変化に戸惑った高校の1年間だったが、2年生になった頃から自己最高記録がぐんぐん伸び、目標としていた全国都道府県対抗駅伝競走大会、全国高校駅伝競走大会に出場した。高校卒業後は大学進学の道もあったが、就労継続支援A型事業所のソレイユで働きながら週6回、朝1時間と夕方1〜2時間の練習を続け、今年で4年目になる。
社会人1年目は、またも環境の変化に苦しんだ。目標が定まらず、指導者もいない。精神的に落ち込み、ジョギングさえできない時期もあった。「何もかもがうまくいかなかった」。十川は走る意味を失いかけたが、ある陸上関係者にパラ陸上を勧められる。これまで健常者と競った十川にとって同じ境遇のアスリートとの競争は新鮮で、足を踏み入れてみると「日本のトップを目指せるのではないかという感触があった。もう一度あの場所に戻りたいと思った」。はい上がるのに時間は要さなかった。
結果を出すことで環境が変わった。競技を続けるための補助や支援など形あるものは嬉しかったが、何より期待されることがうれしかった。「職場の方だけでなく、知らない方から頑張ってと声を掛けられるようになった」。目標が日本一から世界一に変わり、意識も変わった。中距離走の専門コーチである橋本裕太氏との出会いは、十川の潜在能力を開花させた。「体の使い方からフォームづくりまで、全てが分かりやすかった」。ポジティブな声掛け、何度も基本動作を繰り返す練習、全てが十川にとって心地よく、結果はタイムに現れ、充実した練習ができている。
直近の目標は19年7月のジャパンパラ競技大会で派遣指定記録3分59.20秒を切り、日本人上位3名に入って「ドバイ2019世界パラ陸上競技選手権」に出場すること。そして、この大会で4位になれば東京パラリンピックへの出場が一気に近づく。「最高の結果を出して、みんな喜んでくれたらうれしい」。何があってもひたむきに前に進む。愚直なまでに、真っ直ぐ、真っ直ぐと。
十川裕次の哲学
周りの支えがあって今の自分がある
プロフィール
成績 |
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