ウェイトリフティング

野中 雅浩 Nonaka Masahiro

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2019.12.19

単純明快、力勝負が面白い

人間はどれだけの重みを持ち上げることができるのか。そうした好奇心がウエイトリフティングという競技を誕生させた。その起源は古く、1896年の第1回オリンピックから採用されている。この競技で五輪出場を目指すのが野中雅浩(茨城県競技力向上対策本部)だ。いきいき茨城ゆめ国体2019では男子109㌔超級で3位となった。海外の選手に見劣りしない182㌢、155㌔の大柄な体型。全身の筋肉と骨とを駆動し、バーベルを持ち上げる。競技はシンプルだが、力だけでは持ち上げることのできない奥深さがある。

 

計画、実行、成果を繰り返す

ウエイトリフティングを簡単に説明すると、バーベルを持ち上げ、その重さを競うスポーツである。体重別に階級分けされており、同じ階級内で記録を競う。種目はバーベルを頭上へ一気に引き上げ立ち上がる「スナッチ」。バーベルを第一動作として肩まで引き上げて立ち上がり、第二動作で全身の反動を使って一挙動で頭上へ差し上げる「クリーン&ジャーク」の2つがある。それぞれ試技を3回ずつ行い、各種目の最高記録による順位と2種目の記録の合計で順位が決まる。

野中にウエイトリフティングの魅力を聞いた。なぜこうも過酷な競技に人生を懸けることができるのかと。彼は笑顔でこう答えた。
 「ウエイトリフティングは見ていて面白い。だって人間が200㌔を超える重りを上げるのだから。競技する方は楽ではない。記録を伸ばすためにコツコツと努力する。自分で計画を立て、実行し、成果を出す。記録が伸びなければ練習方法やフォームなどを見直す。技術があっても力がないとダメ。力があれば少しの技術でも(バーベルは)上がる。やはり力勝負。そこが面白い」

 

幼い頃から体が大きかった野中は、小学1年の頃からバスケットボール選手として活躍した。長身を生かしゴール下のプレーを得意としていたが、膝の故障が絶えず、高校入学を機にウエイトリフティングに転向した。「バスケに未練はなかったし、練習を見学したら自分でもできると思った」と直感を信じ、恵まれた体格とバスケットボールで培った瞬発力とパワーですぐに頭角を現した。入学して1年後の全国高校選抜大会で5位に入賞すると練習にも力が入った。「コンタクトスポーツではないので予期せぬけがはない。柔軟性と脚力強化を意識し、バランスを大事にした」。そのようなトレーニングを重ねた結果、下半身の強さと股関節の柔軟性はバーベルを持ち上げるときの姿勢の安定につながった。

 

五輪の舞台に立つ

14年の全国高校選抜大会で初めて日本一になると、その年の全国高校総体、国民体育大会で優勝し、全国大会の高校三冠を達成し、世界の扉を開いた。15年アジアジュニア選手権で4位となり、法政大学に進学後は16年に世界ジュニア選手権で10位、全日本大学対抗戦で優勝する。年代の近いライバルとタイトル争いをすることで最重量級のトップランカーとなった。「同年代にライバルがいるのは励みになる。学年が1つ上の村上(英士朗)さんや知念(光亮)さんに追いつけ、追い越せで頑張ってきた。今では(日本代表)合宿でもよく話すし、頻繁に連絡も取る。一緒にご飯を食べ、近況報告をしたりする」

 

そんなライバルたちとも試合となれば真剣勝負に徹する。ウエイトリフティングは、バーベルを1㌔刻みで増量できるが、1回目の試技より減らすことはできない。どの重量から挑戦し、どう増量して記録を伸ばしていくかという他選手との「かけひき」も勝負の重要な要素となる。「競技者にとって記録を目指すことは大事だが、勝負となればこの『かけひき』が結果を左右する」。スナッチが苦手だがクリーン&ジャークが得意な野中は、追い込み型だ。「スナッチで(重量を)離されないことがポイント。スナッチがうまくいけば、より楽にジャークに入れる」と、勝つときは後半の追い上げで逆転することが多く、会場は盛り上がる。「会場を味方につけ、期待に応え、自分の試合を楽しんでもらえる選手になりたい」と話す。

 

今もその思いは変わらず、法政大学を経て、現在は茨城県競技力向上対策本部に在籍し、日本を代表する選手へと成長を遂げている。「自分がやってきたこと全てが記録で出る。目標設定がしやすいスポーツだからこそやり甲斐がある。いつまで進化できるか挑戦したい。そして、ウエイトリフティングという競技を見てもらうことで多くの方に伝えたい」  東京五輪は厳しくてもパリ五輪は射程圏内にある。「世界のレベルになれば自分の階級は170㌔以上の選手がいる。実力差は感じるが追いつけない差ではない。自分にはまだまだ伸びしろがある。五輪の舞台に立ちたい」。そんな自分を思い描くことが今、何よりも大きな原動力になっている。

野中雅浩の哲学

期待に応え、自分の試合を楽しんでもらう

 

プロフィール

生年月日 1996年7月17日
出身 大分市
身長/体重 182cm/155kg
成績
  • 2015年 アジアジュニア選手権 男子105㌔超級 4位
  • 2016年 第71回国民体育大会 優勝
    世界ジュニア選手権 男子105㌔超級 10位
    アジアジュニア選手権 男子105㌔超級 5位
  • 2017年 全日本学生個人選手権 男子105㌔超級 準優勝
    アジアシニアカップ 男子105㌔超級 2位
    全日本選手権 男子105㌔超級 準優勝
  • 2019年 第74回国民体育大会(茨城) 3位
  • 2021年 全日本選手権 男子109㌔超級準優勝
  • 2022年 全日本選手権 男子109㌔超級 3位