ロードレーサー

黒枝 士揮 Shiki Kuroeda

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プロフィール

生年月日 1992年1月8日
出身 大分市
身長/体重 161cm/50kg
成績
  • 2008年 国体 個人ロードレース 優勝
  • 2010年 JOCジュニア・オリンピック・カップ ポイントレース 優勝
  • 2011年 全日本学生クリテリウム選手権 優勝
  • 2012年 国体 ケイリン 優勝
  • 2014年 GP MARCEL BERGUREAU(フランス/国際大会) 優勝

2019.11.07

エースとしての自覚、勝利への強い執着

チームブリヂストンサイクリングに移籍して最初のシーズン。「大学を卒業して三つ目のチーム。環境が変わるとゼロからのスタートとなるけど刺激は多いし、新しいことを取り入れることができる」。黒枝士揮は充実したシーズンを過ごしている。今年も日本最高峰のサイクルロードレースシリーズ「Jプロツアー(JPT)」に参戦し、第11戦の広島クリテリウムで優勝し、第6戦の宇都宮クリテリウムと第10戦の東広島サイクルロードレースで準優勝。2019年10月時点で個人ランキング6位につけている。

 

爆発的なスピードで勝利を呼び込む

自転車ロードレースには、平地でのスピードを生かし勝負する「スプリンター」と山を登ることに長けた「クライマー」、そのどちらもこなす「オールラウンダー」という三つのタイプがある。黒枝は根っからのスプリンターだ。その魅力をこう語る。 「僕は競うことが好き。ゴール直前のスプリント勝負はゾクゾクする。ゴールを目指してひたすら自転車を前へ進める。接触すれば大けがが避けられないスリルがある。感情が良くも悪くも揺さぶられる。その中で頭一つ抜け出したときの快感はたまらない」

黒枝の特長は、天性のバネと瞬発力が生み出す爆発的なスピードだ。チームブリヂストンサイクリングの六峰亘ロード監督は、「勝つことに特化した選手。なんとなく力があるのではなく尖った力がある。何時間も走った中で最後の5分で力を発揮できる。集中力を高め、爆発的な瞬発力を生み出す力は日本人の中でズバ抜けている」と賛辞を惜しまない。

 

自転車ロードレースをチーム競技という人は多い。1人の選手が表彰される個人競技でありながら、基本的に他の選手たちは1人のエースを勝たせるために仕事をしていると言っても過言ではないからだ。 黒枝はチームブリヂストンサイクリングのエーススプリンターだ。エースを助ける選手たちはアシストと呼ばれ、風よけとなり、エースの体力を温存させるための役割を担う。チームカーから水と食料を運んだり、エースがパンクなどの不測の事態に見舞われれば、自らのホイールを差し出すことさえある。それだけにエースの重圧は半端ない。 「チーム全員が自分を勝たせるためにお膳立てしてくれる。その期待に応えなければエースである必要がない」。黒枝はエースとしての自覚があるからこそ勝負にこだわるのだ。普段は物腰柔らかく、口調も穏やかな黒枝だが、勝負ごとの話になると少しだけ熱がこもるのは、そんな背景があるからなのだ。

 

勝つことで期待に応える

黒枝が自転車競技に出合ったのは小学1年のとき。父が趣味で自転車レースに参加していたこともあり、自然と興味を持つようになる。やがて旅行感覚で地方の自転車レースに出場することになり、結果を出すようになってからは少年レーサーとして注目を集めるようになった。 「スポーツは全般的に得意だった。中学では陸上部に入っていて短距離選手として県大会でも入賞したこともある。でも、一番好きだったのは自転車。あのスピード感に魅せられた」

 

自転車競技の強豪として知られる日出暘谷高校(現・日出総合高校)から誘いを受け、入学すると自転車部に所属。当時は大分国体に向けて県全体が競技に力を入れていた時期で、黒枝はその恩恵にあずかる。「勝たなければいけないプレッシャーはすごかったけど恵まれた環境、素晴らしい指導者のおかげで力がついた」。高校2年の全国高校選抜、全国高校総体では個人ロードレースで頂点に立つ。「将来は競輪選手なろうと漠然とした夢があったが、ロードでプロを目指そうと思うようになった」。高校3年の国体でも見事に個人ロードレースで優勝し、さらなる飛躍を求めて鹿屋体育大学に進学する。

鳴り物入りで入学した黒枝だが、プロ候補生がそろうエリート集団の中では特別な存在ではなかった。自主性を重んじる環境は上昇志向のある選手には最適だが、己を律することができない者は脱落する。「てんぐになっていたし、自分を制御する人がいない環境だったので現実逃避していた」。大学1年の頃は練習に身が入らず、成績も出ない。初めての挫折を味わったが、自他共に認める負けず嫌いが負け続けることに納得するわけがなかった。「勝つために何をすればいいか考えたら練習しかなかった」。見渡せば体育大学ならではの練習環境が整っていて、国内の最前線で活躍する見本となる選手がいた。才能に惜しみない努力が加われば、ブレイクするには時間はかからなかった。

 

国内大会での実績が認められ、アジア選手権など国際大会に出場するようになる。大学卒業後はプロ契約を勝ち取り、アジアツアーだけでなくロードレースの本場ヨーロッパを転戦し、現在は国内レースを主戦場に日本トップランカーとして最前線を走り抜けている。黒枝にとって「勝つ」ことが何より大事で、「プロである以上は結果を示し、支えてくれている方々の期待に応えたい」。それが勝負どころでギアが上がる源となっている。

目標は実にシンプル。「勝ち続ける」。大好きな自転車を最前線で長く続けるためには、全力で走り続けるしかない。その途中に、オリンピック出場や全日本選手権で優勝し、日本人トップ選手の証しであるジャパンナショナルチャンピオンジャージを着ることなどがある。勝利を宿命づけられたスピードスターの戦いは、まだまだ続く。

黒枝士揮の哲学

走り続けるために、勝ち続ける