フェンシング

大石 利樹 Riki Oishi

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プロフィール

生年月日 1994年12月16日
出身 大分市
身長体重 174cm、68kg

2019.09.27

変化を恐れず、向上心を持って突き進む

精神的に向上心のない者はばかだ―。

高校生の時に読んだ夏目漱石の「こころ」の一節が心に響いた。「内容はあまり覚えていないけど、読み終えたときに“あの”フレーズが頭の中に残って、今も僕のフェンシングの原点となっている」。フェンシングのフルーレ種目で日本トップランカーにいる大石利樹は、変化を拒まない。「向上心がなくなったときは競技を辞めるとき。フェンシングは陸上などのタイムを競う競技と違って対人競技。経験が可能性を無限に引き出す。体力や筋力があっても、それを使いこなす技術がなければ意味がない。完成形がないから、自分自身まだまだ伸びると思っている」

 

誰が見てもすごいと思えるスタイルを追求

東京五輪代表争いは2019年11月から2月までにワールドカップグランプリ大会やワールドカップなどのランキングレースの結果で決まる。絶対的な存在がいない男子フルーレだが、大石と同じ20代の実力者たちが大接戦の渦中にいる。大石は「まずは団体メンバーに入って、東京五輪の出場権を得たい」と決意を語った。

 19年5月のワールドカップグランプリ中国大会で予選突破。決勝ラウンドでは1回戦で敗れたが、確かな手応えをつかんでシーズンを終えた大石は英気を養っていた。束の間のオフを利用して地元・大分に帰郷し、友人や恩師に会い、後輩と一緒にトレーニングをして原点に帰った。

 

フェンシングは選手のタイプが際立つスポーツだ。パワー重視で押し切るタイプ、スピードでたたみ掛けるタイプ、柔軟性で戦うタイプなど、それぞれ選手の個性が出る。そこに駆け引きが加わり、試合を面白くする。大石にはフェンシングを始めた頃から追求するスタイルがある。「思い切りの良いアタックで会場が湧くフェンシング。ルールが分からない人にも『すごい』と言われる動きをしたい」。これが大石の源流だ。

 

要領の良い末っ子気質を発揮

5歳で剣を握った。きっかけは4歳上の兄、2歳上の姉がフェンシング教室に通い始めたこと。小学1年に満たない大石は、兄と姉の練習の合間に遊び感覚で「フェンシングごっこ」に夢中になり、自然の流れでフェンシングを始める。小学生のころは遊びの延長だったが、4年生のときに出場した全国大会で小学4年以上6年以下の部で3位になり、5年時には2位、6年時に日本一になる。
 勝つ感覚を味わい、練習に身が入るようになったのは中学生の頃から。典型的な末っ子は要領が良かった。年上の兄や姉がどこでつまずき、そして克服していったかを見ている。それはフェンシングにおいても同じで、常に先を行く長子に張り合うことなく、誰かが既に始めていることに対して、自分の意見や考えを発展させてきた。「兄や姉には勝てないことは分かっていたので勝負することはなかった。勝てないうちは勝負しない」。したたかである。幼いときから自分の土俵で戦うことが勝つために最優先することだと学んでいた。

 感覚やひらめきで勝負していたが、中学、高校とカテゴリーが上がるにつれて戦術を覚え、駆け引きを覚えた。高校ではJOCジュニアオリンピックでのフルーレ優勝を皮切りに、全国高校総体でエペ、フルーレで準優勝など主だった大会で好成績を残す。とはいえ、「指導者に教えられたことを忠実に再現すれば勝てたのは高校まで」と大石。法政大学に進学してから本当の戦いが始まったと言う。「大学では選手が主体となって練習をした。手を抜こうと思えばどれだけでもサボれたし、勝ちたければ自分で自分を追い込むしかない。全ては自主性に任せられる環境で戸惑った」と、1年間は結果を出せずに苦しんだ。しかし、そこから末っ子の本領発揮。先輩の練習、戦い方を研究し、体に叩き込む。ナショナルチームに選ばれるようになった頃には、コーチからの的確なアドバイスも受けるようになったが、「それを全部取り入れるのでなく、必要な部分を自分で切り取ってミックスして取り入れた」。

失うものは何もない。チャレンジは続く

14年、大学2年の頃にはナショナルチームのメンバーとなり、戦う場が海外になった。異なる環境の変化に戸惑いもあった。「最初は結果を出そうと必死だった。50%の力で勝てる相手に120%の力で倒しにいった。当然疲れるし、長続きしない。周りを見ると対戦相手を分析し、対処していた。それが分かってから分析に力を入れるようになった」。相手とのパワーバランスを考え、長所や短所をあぶり出す。自分なりにゲームプランをまとめ、実践する。トライ&エラーを繰り返した。

 

15年のワールドカップグランプリ中国大会で転機が訪れる。これまで予選敗退が続いていたが、初めて決勝ラウンドに進んだ。この頃から、「相手の良さを消すことと自分の良さを出すことのバランスがとれ、イメージしたことが勝利に結びついてきた」。

小学校の卒業文集に将来の夢を「オリンピックでメダルを取る」と書いた。「漠然と書いただけ。しっかりとした目標に変わったのは大学になってから。カデ(17歳以下)からジュニア(20歳以下)、ジュニアからシニア(年齢制限なし)となし、そのカテゴリーでトップを目指した。シニアになって勝てない時期があったが、トップを目指すことに変わりはない、思い切って試合をしよう。失うものは何もないのでチャレンジしかない。そう思えるようになり、吹っ切れた」

 

社会人3年目、今年も海外遠征が続く。秋からは海外で過ごす時間の方が長くなる。「遠征は苦にならない。いい成績を出すこと。それしか考えていない」
向上心を忘れず、結果を追い求める戦いは、まだまだ続く。

大石利樹の哲学

向上心を失ったときが競技を辞めるとき

 

大分合同新聞 取材記事

 
2022年10月4日 大分合同新聞