2019.09.12
虎視眈々と日本一、世界一を狙う
男子フェンシング3種目(エペ、フルーレ、サーブル)の中で唯一五輪のメダルを獲得しているフルーレ。五輪への出場レースは激戦だ。太田雄貴(現日本フェンシング協会会長)が北京五輪で個人銀メダル、ロンドン五輪では団体銀メダルを獲得して以降、地道な普及、強化活動が実り、世界を相手に戦えるフェンサーが増えた。2019年度の同種目日本ランキング(5月27日現在)では23歳以下の選手が7人もいる。
この激戦区に挑むのが18年度全国高校総体を制覇した中村太郎だ。19年4月にスーパールーキーとしてフェンシングの強豪・法政大に進学。ナショナルチームで活躍する先輩たちのレベルの高さは想像以上だったが、ひるんだ様子はない。「高校の時はフェンシング初心者が多く、自分は教える立場だった。今は自分よりレベルの高い選手がいるし、日本一や世界大会を経験した人ばかり。毎日の練習に刺激があり、いろんな技を見て覚えることができる」と充実した日々を送っている。
太田と出会いフェンシングの道へ
176cmという身長は、フェンシング選手として決して恵まれたものではない。だからこそ、「攻撃や守備に特化せず、苦手意識をなくす」ことでオールラウンダースタイルを確立してきた。中村は質問に対しての答えが的確だ。自分自身を客観視できている。フェンシング指導者の父・修さんは息子の特性をこう表す。「自分で課題を見つけ、修正できる能力は高い。洞察力に長け、相手と駆け引きもできる」
相手が踏み込んでくれば間合いをとり、アタックを仕掛けて不意を突く。わずかな体重移動を見逃さず、よくしなる剣を操り、形勢を逆転する。フェンシングは常に繊細な感覚が要求されるスポーツだ。「一瞬のスピードと繊細な駆け引きを駆使して技が決まったときの爽快感」が中村を虜にしている。
小学2年の冬にフェンシングを始めた。08年の大分国体で現役だった太田に会い、サインを求めると「フェンシングをしてない子にはサインはあげない」と言われたのがきっかけだ。当時は父親がフェンシングの指導者であることを知らずに剣を持った。運動神経が良く、体を動かすことが好きだった少年は、小学校時代はサッカー、水泳に没頭した。中学になり、フェンシングに本格的に取り組むとすぐに頭角を現した。1学年上の、今や日本ランキング上位にいる上野優斗(中央大学)や石井魁(中央大学)と切磋琢磨し、高校2年次には3人で国体団体戦に優勝する。その後は数多くの年代別の世界大会に出場し、メダルを獲得するなど才能を一気に開花させた。
誰にも負けないチャンピオンになる
現在はジュニア(20歳以下)のカテゴリーを主戦場として大会に出場する。もちろん大学の公式戦にも出場し、多忙な毎日を送る。「大会に出れば出るほど疲れるけど成長もする。実践の場で得ることは多く、感覚もどんどん研ぎ澄まされて目標も明確になる」見据える先に五輪がある。「来年度から年齢制限のないシニアのカテゴリーになるが、その前にジュニアで最高の成績を取りたい。そのためにはこれから始まるランキングポイントの高い大会で常に上位に入り、海外遠征メンバーに入る必要がある。そこで海外経験を積んでシニアの大会に臨みたい」と明確な道順を描く。
東京五輪は太田雄貴の後継者と称される松山恭助、西藤俊哉、敷根崇裕、鈴村健太をはじめ、力のある日本人フェンサーがそろっている。彼らの年齢が20代前半であり、選手としてのピークを過ぎるのを待っていては次のフランス、そしてロサンゼルスまで出番が回って来ないことは明白だ。「これまでアジアチャンピオンや世界王者になったけど、所詮はアンダーカテゴリーでの結果。年齢制限のない大会で勝たなければダサい」と言い切る。決して天狗になっているわけではない。冷静に自分の現在地を的確に捉えているからこその言葉だ。
カテゴリーが上がれば、レベルも上がる。これまで頭脳戦に持ち込めたが、フィジカルが強くなければ、戦術も技術も使いこなせないことも理解している。「日本ランキングの上位者はスピードがある。今の僕に足りないのは筋力。トレーニング施設や時間が有効に使える大学4年間が勝負。今から自分がどんな練習をして、どれだけ強くなれるか楽しみ。先輩たちに追いつき、追い越す覚悟で這い上がりたい」。飽くなき追求心でフェンシングを極め、パリ五輪ではエースとして金メダルを思い描く。どんな選手になりたい?との問いに答えは明確だった。「誰にも負けないチャンピオンになる。それを証明するのがオリンピックの金メダルであり、世界ランキング1位だと思っている」
中村太郎の哲学
満足したら終わり。今できることを本気でやる。
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